2013年11月18日

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪ (滋賀・野洲市)

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
                       <野洲市歴史民俗博物館 (銅鐸博物館)>

   実は、明治14年(1881)野洲市小篠原大岩山で発見された銅鐸14個の内の
   日本最大の鐸と次に大きな鐸とが東京国立博物館の所蔵となっていて近く見学
   に行く予定をしていた矢先に地元に里帰りのニュースが飛び込んで来て・・・

   これは、、、” 行っとかなきゃ” と思い銅鐸博物館へ足を運んで来ました。kao10



日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)

   これが日本一!!
        最大の銅鐸 です。

   大岩山明治1号銅鐸 <東京国立博物館>所蔵
      (滋賀県野洲市小篠原大岩山より出土)

   高さ134.7㎝ 重さ45.47

     point_9 これは複製品 (レプリカ) です。




      ========◆========


     最大の銅鐸の左下に展示されていたのが、
                   日本最小の銅鐸!!


     point_7 これが日本最小の銅鐸
        (栗東市下鈎(しもまがり)遺跡より出土)
              高さ3.4㎝ 重さ0.052㎏

            日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)  

      (残念ながら博物館さんと協議の結果、図録以外の実物はご覧頂けないので悪しからずご了承ください。)kao08
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)

    滋賀県野洲市小篠原大岩山から明治14年に出土した銅鐸14個は(最大の物も含め)一旦は東京に運ばれ・・・
    その内、12個は地元に還され最大の銅鐸と次に大型のものは現在、東京国立博物館の所蔵となっています。
    大岩山からは他にも昭和37年、新幹線工事の為の採土中に10個の銅鐸が発見され合計24個となります。
  
    これまで銅鐸は全国で500口出土していますが、同一場所から24個もの出土は全国最多でしたが・・・
    平成8年(1996)島根県・加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が発見され数の上では(同一場所)全国一となりました。
                                (因みに滋賀県全域では記録だけのものも含め38個となります。) 

     全国的には府県全域からは多く出土している地域は多くあります(兵庫とか徳島)・・・ですが同一場所から多量に
      出土しているのは・・・滋賀県島根県だけです。


  【余談】 高天原(たかまがはら)を追放された?或いは高天原を天照大神に譲った?とも云われるスサノオの命・・・
       姉の天照大神と対峙したと云われる...天のヤスの河原・・・(現在の滋賀県・野洲川と比定する人は多い)

       島根県と云えばスサノオの命の子ども!?或いは四世の孫!? (どっちがホンマや~) kao01icon10
       ・・・とも云われる大国主ノ命の出雲大社、、、その御膝元にあるのが加茂岩倉遺跡!!
       滋賀県と島根県!!天照大神とスサノオの命!! これは単なる偶然でしょうか~? kao06

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)

    
     銅鐸は近畿式や東海式など地域・地方により形、紋様などが微妙に違っているようです。
      又、銅鐸は古墳からの出土は例がなく埋葬品ではなく多分、西洋の鐘のように内側から打ち鳴らす
      鐘の一種で祭祀などに用いられたと考えられていますが、前期から後期へと鳴り物から次第に大き
      くなり見る銅鐸へと移行して行き政治的な意味を持つようになったとも考えられています。

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)   銅鐸のココを見よう~!! (画像クリックで拡大)  
                point_7       
          日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)


  point_9 大岩山明治2号銅鐸 <東京国立博物館>所蔵
         滋賀県野洲市小篠原大岩山出土(背面)
          高さ74.1㎝ 重さ14.31

   この銅鐸の特徴として表面の裾部に水鳥2羽が描かれています。
                       point_7
                 日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
                  (画像クリック拡大)


  【参考
      大岩山からは、大岩山にある大岩山古墳から発見された
      銅鏡3面も東京国立博物館で所蔵されています。

                  日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)


日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
    最初の発見・・・
       銅鐸の最初の発見は飛鳥時代(668)近江大津京・天智天皇の命で建立された崇福寺の建設中に発見されたと
       云われています。     当時は宝鐸(ほうちゃく)と呼ばれビックリ仰天、大騒ぎになったとか・・・kao10
    しかし・・・
       弥生時代に既にこれだけの鋳造技術があったにも拘わらず後世には全く語り伝えられる事なく・・・
                                                 当時より謎の物体だったのですね~(笑)

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
          (表 面)                      (側 面)                      (背 面)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
               (内面突帯)                                    (内面)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
  point_6 上の5枚の画像は 山面1号銅鐸
                    高さ31.6㎝ 重さ1.180㎏ 6区袈裟襷紋


    point_9 山面2号銅鐸  (摩耗が激しく紋様がハッキリせず)
                    高さ22.0㎝ 重さ0.815㎏ 4区袈裟襷紋 



   これらの銅鐸は明治23年(1890)滋賀県蒲生郡竜王町山面字高塚の
    鏡山から東北に延びる丘陵の頂付近から2口出土したものです。
    やはり大岩山と同じく2口が入れ子状態で発見されたようです。


     何れも東京国立博物館・所蔵
     




日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
   最大の謎と云うけれど・・・
     この銅鐸は我が国、日本及び中国の文献にも登場していません。。。(それらしき名の記述はありますが・・)
     勿論、銅鐸と言う呼び名は現代人がそう呼んでいるだけで当時の人たちは...そんな呼び方はしていなかった可能性
     があります。
     元より昔々の事・・特に古代に置いては不明で謎が多いのは当たり前なのですが・・・
     しかし我が国においては此の銅鐸を初め我が国の建国の謎・邪馬壱国(邪馬台国)の謎・神々が坐す天上の世界と
     され歴史が闇に葬り去られた高天原(たかまがはら)などなど不自然で不可思議な謎が多すぎるのです。

     この銅鐸に関しては用途が何かよりも・・全て地上から姿を消し、歴史が封印された如く後世に語り継がれる事もなく、
     これが最大の謎であり、同時に我が国、日本は本家総国の国柄ではない事を物語っていると・・私、(Dream)は考え
     ています。。。kao06

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
      隣接する・・・ 弥生の森公園で・・・ 弥生時代の空気を吸って一息入れて来ました~kao10 (笑)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
              (竪穴式住居)                                  (高床式倉庫)
日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市)
  【あとがき】
    神代(かみよ)の昔とか神話に登場する人物だとか・・・あたかも別世界のように語られる事が多いようですが・・・
    これらは人間が祀り上げ現実を架空の世界に創り上げたとものと思いますが、皆さんはどんな見解をお持ちですか?

    銅鐸はある時期、一斉に地上から姿を消したようです。一般論では儀式を行い埋納されたと、実に平和的な解釈がな
    されているようですが・・不自然だと私は思っています。
    何故なら、それなら絶対に記録として残り後世に語り継がれる筈だからです。
    これは埋納ではなく隠匿されたものと考えます、つまり銅鐸を所持している事により身に危険が迫り人目に触れぬよう
    、やむなく隠されたものだと・・・

    守山市新庄から発見された銅鐸は平地に埋められ、おそらく山や丘陵地まで運ばれる途中で間に合わず仕方なく平
    地に埋められた、、、と考えられ、それほど事態が切迫していたと推し測れるものもあります。

    中国の歴史書...後漢書(ごかんじょ)に・・・『日本国、旧小国...倭国の地を併す』 とあります。。。
      つまり、この銅鐸は敵対する相手側のもので・・・
          我が国の本家国家?のシンボル的?象徴するような代物であったとも考えられます。
    

         そう考えると建国の謎や邪馬台国も高天原などの謎も辻褄が合って来るので不思議です・・・kao06

日本一!! 最大銅鐸の里帰り~♪  (滋賀・野洲市) 
     資料文献 : 銅鐸博物館発行・図録  蝦夷と天の朝の研究 etc...

    
             皆さん、ここまで長くお付き合い頂き有り難うございました。icon22

                                         それでは又、お会いしましょう~ icon23kao_21   by Dream
   
          

Posted by Dream at 18:18│Comments(18)
この記事へのコメント
こんばんは
 銅鐸のはなし、好きです。見に行きたいんだけど、なかなか時間が取れない。
貴重な解説。ありがとうございました。
Posted by さあちゃんさあちゃん at 2013年11月19日 03:04
おはようございます

銅鐸博物館レポ、待っておりました(^-^)
行ったことがないので、興味深く拝見させてもらいました!

滋賀県も実は沢山、遺跡など古の足跡がたくさんあるんですよね。
京都や奈良とは違う、素朴な趣を感じます。

銅鐸や鏡、神器などロマンがありますもの。
Posted by りんごうさぎ at 2013年11月19日 09:42
Dreamさん こんばんは~(^-^)/

銅鐸博物館は 近くを通ったことがありますが まだ行ったことはありません。

銅鐸とは そもそもそんなに重いものを どういう用途で 使われていたのですか~??f(^-^;)

それに 隠すために埋められていた様?で 謎が多いようですね・・・???
Posted by HIROKOHIROKO at 2013年11月19日 20:22
さあちゃん、こんばんは~♪

お粗末な解説で恥ずかしいですが・・・(;´ω`)ワラ
でも、少しはお役に立ちましたか?

銅鐸だけだと・・・たかが銅鐸か!!となるのかも知れないですが、、、
古代史、時代背景と結んで考えると非常に興味深い代物だと思います。

さあちゃんも、いつかご覧になって下さいね~♪
    
    
Posted by DreamDream at 2013年11月19日 23:22
りんご村さん、こんばんは~♪

お粗末なレポですが・・・(笑)
滋賀県の歴史は京都や奈良より、ずっと古いです、それだけに痕跡が残り難い面があるので...にわかには信じられないと云った人も多いです。(苦笑)

本当にね~銅鐸や鏡・・・そして神器、古代の歴史は特にロマンを感じさせてくれますよね~
りんご村さんも、機会があれば是非!!^^♪
      
Posted by DreamDream at 2013年11月19日 23:37
HIROKOさん、こんばんは~♪

一般論で銅鐸は鳴り物で祭祀に使われた神器のように云われています。
小型のものは何処かに吊るし鐘のように内側から叩き音を出した可能性は高いようです。
実際にその痕跡がある銅鐸もあるらしいです。
でも、大きいものはシンボル的に何処かに置き飾られていたのかも知れませんね~^^

謎・・・その通りで銅鐸は全くの謎です!!
     でも、その謎である事の方が余程、謎なのかも知れません。。。(笑)

銅鐸の歴史が何故抹殺されたのか・・・誰も解りませんが、歴史背景から観ておよその見当はつくようです。
やはり隠匿、隠されたと見るのが妥当なようです。。。

里帰りは11月24日までらしいです、機会があれば行ってみられても良いかと・・・(^ω^)v
    
Posted by DreamDream at 2013年11月20日 00:01
こんにちは
 子供の頃、「銅鐸の謎」って言う本を読んで以来、銅鐸好きです。
若い頃は、「銅鐸は、神々が使っていたコンピューターを、模した物だ」と言う説を、
真面目に信じてました。あの、升目に区切った模様は、ディスプレイだとか、
波模様は、配線を模しているのだとか・・・
 そして、突然作られなくなったのは、神々が地上から姿を消し、(つまり、天に帰った)
幾ら偽物を作っても、二度と現れなかったから・・・
 でも、あんな形のコンピューターって・・・?やっぱり、トンデモ説の一つだったんでしょうね。
 それを抜きにしても、やっぱり、謎めいていて、好きです。銅鐸。
Posted by さあちゃんさあちゃん at 2013年11月21日 11:41
このところ、必要に迫られて出るか、家ですっこんで音楽やってるか、です。

最近は、ジャズの勉強もしていますが難しいですが、ジャズは何でもあり、

みたいなところもあるので、銅鐸の音が入ったら面白いな! と夢想しました

^^。


頑張って、銅鐸博物館に行ってみましょうか、と、マイ尻を叩いています(^^;)。
Posted by 夢想花夢想花 at 2013年11月21日 12:29
さあちゃん、こんばんは~♪

なになに・・・銅鐸は神々が使うコンピューターを模したもの!?(*'ω'*)
ふむふむ・・・升目の中はディスプレーで電気回路の配線ですか~^^♪

一体、このディスプレーには、どんな真実が映し出されていたんでしょうね~
でも、コンピューターの基盤のようにも見えるし。。。おまじないを掛ければ反応して世の中の事が全て分かるマシーンだったりして・・・(笑)

銅鐸と共に神々も一緒に地上から姿を消した。。。遠からず当たってると思いますよ~もしかすると大正解かも知れませんよ!!(^ω^)v

トンデモ飛んでる説、面白かったです...有り難う~^^♪
    謎が謎を呼び・・・更にその謎が謎を呼ぶ・・・クウーええなぁ~(≧ω≦)(笑)
    
Posted by DreamDream at 2013年11月21日 22:12
Dreamさん     こんばんは~♪
ご無沙汰しています!!
出掛ける事が多く、それに作品の制作が間に合わず忙しい日々を送っていました~m(__)m

銅鐸の里帰りも気になっていましたが、24日迄 ギリギリ見に行けそうです。
先月末にも銅鐸の記念講演会がありましたが残念ながらそれも参加できませんでした。

謎の多い銅鐸 里帰りした最大の銅鐸は何を語っているのでしょうか~?

伊勢遺跡 高天原 ヤスの河原 邪馬台国と卑弥呼 それに天照大神
伊勢遺跡の件で教育委員会に℡した事を思い出しました~(笑)
以前Dreamさんに色々教えて頂き、熱くなった思いが蘇えります~^^
高天原は天上の世界ではないですよね!!
また以前の資料を開いてみます!!

ありがとうございました~(^o^)
Posted by パルパル at 2013年11月21日 23:20
夢想花さん、こんばんは~♪

必要に迫られないと行動が出来ないのはDream も同じですが・・・
私の場合はダラダラとしてしまいますが、夢想花さんは音楽を..♪ (夢想花さんを見習わなければ・・・)^^♪

ジャズは良いですね~♪
音楽芸術のひとつであると云えるかも知れませんので銅鐸の音が入ればさらに芸術性が高まるかも知れませんね~(^ω^)v

銅鐸博物館、行かれましたか~未だでしたら明日(24日)迄ですのでお急ぎ下さいね!!
お返事、遅くなりました。。。
    
Posted by DreamDream at 2013年11月22日 21:38
パルさん、こんばんは~♪

お久しぶりです、お元気でご活躍のご様子で何よりです。。。^^♪

最大の銅鐸はやはり立派な物でした・・・多分、銅鐸自身はいっぱい語りかけ訴えたい事も多くありそうな気がしました。

そうでしたね~パルさんは熱心に伊勢遺跡を見学されたり、古代史に熱い思いを持たれているので素晴らしいと思っています。^^

高天原は天上の世界ではありません!!
地上世界と天上の高天原と頻繁に行き来されている事を突き止められたのが・・・あの山哉氏です。

蝦夷を研究されて来た山哉氏!!
前にNHKの歴史ドラマで大和朝廷が蝦夷も攻撃していますね~(私は1,2回しか見てませんがパルさんご覧になりましたか~?)
これは、高天原よりずっと後の事ですが、これで古代の様子が私自身よりよく解るようになりました。

お返事、遅くなりました、24日は楽しんで来て下さいね。。。お気を付けて行ってらっしゃ~い!!^^♪
    
Posted by DreamDream at 2013年11月22日 22:10
昨日の昼から行きました。

同じ会場の歴史博物館で、洪水を防ぐための「野洲川放水路の建設」のDVDも見ました。そこで発見された服部遺跡と土器の発見・・・勉強になりました。

野洲川周辺の方、だったと思いますが、感慨深げにご覧になってました。


会場は多くのの人! 私は、銅鐸を軽く鳴らして、ジャズとのコラボを夢想していました^^。
Posted by 夢想花夢想花 at 2013年11月24日 05:48
Dreamさん こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

百聞は、一見にしかず。。。と、言うことで、里帰り中の銅鐸を見て来ましたよ^_^
銅鐸にも、東海系があったり。。
同じ鋳型の物が、日本の離れた場所から、出土していたり。。
銅鐸の胴体の紋様も、作製された時代によって、変化があったり。。
特に、裾の部分に、水鳥の模様が描かれていたのは、印象的でした。

良いタイミングで、皆さんにお知らせ〜ありがとうございました。( ´ ▽ ` )ノ
Posted by プーちゃん(PU-ちゃん)プーちゃん(PU-ちゃん) at 2013年11月24日 12:14
夢想花さん、こんばんは~♪

博物館、多くの人で賑わっていましたか・・・^^
野洲川は、かつて暴れ川と云われ度々洪水を引き起こして来たらしいですね~
それが古代より肥沃な土地を更に豊かにしたと聞いています。
服部遺跡は農村集落だったようですが田園がそのまま遺跡として残っているのには驚きです。。。(*'ω'*)

ふむふむ...ジャズと銅鐸の音色をコラボして夢想されましたか~Good、Good~ですね~(^ω^)v
夢想花さん、ご報告と再度のコメントありがとう~御座いました。^^♪
     
Posted by DreamDream at 2013年11月24日 21:04
プー(PU-)ちゃん、こんばんは~♪

里帰りの銅鐸、見に行かれましたか~(Hさんとご一緒?それともご家族で?)
                             ↑ そんな事、ホッチッチ~(>ω<) かな?(笑)

銅鐸は地域でも微妙な差異があったり前期と後期でも変化があるようですね!!
それと同じ鋳型で作られた銅鐸が離れた場所にあると言うのも不思議のひとつですよね~

水鳥模様の銅鐸・・・よく壁画などでは動物などが描かれていますが、銅鐸では珍しいですね~Dream も初めて知りました。。。(*´ω`*)

プーちゃん、もしこの記事をみて博物館へ行かれたのなら嬉しい限りです・・・ありがとう~^^♪
    
Posted by DreamDream at 2013年11月24日 21:36
そろり…ソロリ…と再登場、失礼致します。(#^.^#)
残念ながら…自分の自由な時間に、ひとりで行きましたよ♪(笑) 家族は、展示内容の興味の度合いによって、説明を読むペースや滞在時間が、違って来ますので。。。
それに、紅葉と、お池の鯉とも、お話しして来ましたヽ(^o^)丿 コメントに関するお返事は、2回目ですので不要ですよん(笑)
Posted by プーちゃん(PU-ちゃん)プーちゃん(PU-ちゃん) at 2013年11月24日 22:27
プーちゃん、再び今晩は~♪

ナニナニ・・・お返事のコメントは不要ですよん!! ウフッ...そうは行きませんよん!!(笑)

お一人でしたか...銅鐸なんかは人それぞれに関心の度合いも違いますからね~中には退屈に思う人もいるでしょうし。。。

フムフム・・・紅葉を楽しみ、お池の鯉ともお喋りを、、、あっ、そうそう~此処のお池の鯉は日本語が通じるみたいですよ~ってか!!^^; (笑)(笑)
     
Posted by DreamDream at 2013年11月25日 21:44
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